東京洲崎遊廓

東京洲崎遊廓は東京市深川区弁天町の一廓で、約五万坪の方形な埋立地である。東京駅からは最も近い遊廓で、市電は早稲田から出る洲崎行きの終点を約二丁程行つた処の洲崎橋を渡つた袂が大門に成つて居る。東京駅から市電で約十五分位な処である。

茲は元禄十年、今より約二百四十年前の東京湾埋立工事に埋立てられた処で、一方は運河、二方は満々たる海に囲まれて居るので、恰も憂世離れた水郷の感じがある。遊廓は明治廿二年に本郷根津から移転して来たもので、当時は洲崎の仮宅と世の人は称へて居たが何時の間にか洲崎遊廓と呼ぶ様に成つた。移転当時は僅々数十軒の同業者に過ぎなかつたが、今日では既に二百六十八軒に殖え、娼妓も約二千五百人程居る。引手茶屋も十九軒あつて、廓内には芸妓も大小合せて約八十名程居る。

引手茶屋の制度は吉原の其れと略同様であるから茲では省くとして、妓楼の制度は全部東京式で吉原と略同様であるが、娼妓の玉代は、一等四円、二等三円、三等二円と組合の規定は成つて居る。此れは一仕切約三時間であるが、此の他に一時間、全夜、全昼等の遊び方もある。相場は時々変更するものではあり、且又家(うち)の格式に依つても多少の相違は免れない。本部屋は大てい二円乃至三円増位で、丼位は出る事に成つて居る。勿論芸妓を直接娼楼へ呼ぶ事も出来る。芸妓の玉代は大一時間二円五十銭、二時間目からは一時間二円、小芸妓は一時間一円五十銭、二時間目からは一円三十銭の割、本金楼、晴光楼、千野楼、中梅川楼、本住楼、藤春楼の六軒は、所謂大店で、ふりの客は揚げないから、馴染以外は何うしても引手茶屋から行かねばならない。然し事実はふりの客かも揚げてゐる、洲崎の娼妓は八割迄は東北地方の女である。妓楼は、

西海岸

東海岸

南六ノ二

北六軒

十軒

南六ノ一

の二百六十八軒