横浜真金町遊廓

横浜真金町遊廓は神奈川県横浜市真金町(まがねちょう)に在つて、東海道横浜駅から東へ約十丁、市電は足曳町(あしびきまち)又は横浜橋で下車する。

横浜は安政年間、幕府と米国全権ハルリス氏とが、最初に通商条約を結んだ地として、永久に忘るゝ事の出来ない地である。其れを永久に記念せんが為めに、野毛山(のげやま)の丘上には井伊掃部頭直弼の銅像が建つて居る。復興の新装成つた大横浜市は真に堂々たるもので、伊勢佐木町及其附近は東京の銀座界隈よりも遥かに善い処がある。人口は既に五十万を数へ、六大都市の一つに数へられて居る。昭和三年の貿易総額は十三億五千万円で、神戸港の次位である。真金町の遊女で、名は忘れたがペルリが入港してから間も無くの事だつたらう。未だ外人の珍らしかつた当時、ある富豪の米人が其の花魁を買ひ度いと申込んだ、けれ共花魁は何うしても応じない。内所では高い金に成る事だから是非出ろとすゝめる。内所には義理がある。さればとて外人の為めに踏みにじらるゝ気には何うしても成れなかつた。其れで彼女は決心した

「露をだに、厭ふやまとの、女郎花 降るアメリカに、袖はぬらさじ」

と云ふ一首を辞世として、大和撫子の最後の気焔を揚げつゝ自殺した遊女が居た。何れにしても開港と真金町とは、甚だ浅からぬ関係に在つたものである事は事実である。目下は貸座敷が五十九軒あつて娼妓は約五百人居るが、福島山形千葉茨城地方の女が多い。店は写真店であり乍ら陰店を張つてゐる。娼妓は居稼ぎ制、遊興は全部廻し花制である。費用は一時間遊びが一円二三十銭、御定りは二円五十銭位で台無し、本部屋は四五円からで台の物付きである。名所としては野毛山、阜頭、三溪園等である。