弘前市寿町(或は北横町)遊廓

弘前市寿町(或は北横町)遊廓は青森県弘前市寿町にあつて、奥羽線弘前駅へ下車し代官町を北へ、和徳町を抜けて右へ折れると北横町(きたよこまち)の遊廓へ出る。

此の遊廓は明治初年頃から明治二十年位迄は元寺町(もとてらまち)の鉄砲小路にあつて、銘酒屋の様な小見世が三四軒あつたばかりであつたが、二十年頃から土淵川に沿ふた、土場町(どばのまち)へ移転し今の様な形を整へてからは、妓楼も十軒ばかりに増加した。同三十年には現在の地に移転したもので、兵営が置かれてから急速の発展をした遊廓である。現在遊廓の貸座敷数は約二十四軒、娼妓約百二十人位居る。女は近県人が多い。店は陰店制及写真制とあつて、遊びは東京式廻し制度になつて居る。妓娼は勿論居稼ぎ制だ。御定りは六円が最高で会席菓子付である。甲は五円、乙四円、丙三円三十銭と言ふ事になつて居る。「寿町(ことぶきまち)」「北横町」と二個所にわかれ、寿町には三軒北横町には中見世、小見世合せて約二十軒位ある。各々気分も多少は異つて居るが此寿町の方は近来発展をして、美人も相当多いと云ふ評判だ。

附近には苹果園が多く林檎の名物、市の北には岩木山(いわきやま)があつて津軽富士の称がある。駅前を真直ぐ行けば古の鷹ヶ丘城址があつて、天守閣や物見櫓等が残存してゐるので、昔を偲ばせるには充分である。岩木山神社(国幣小社)は市から西へ三里半、楼門、神楽殿、惣黒塗鍍金の金具を打つた中門(ちゅうもん)、総朱塗の拝殿、唐門等は燦然として、俗に奥日光の称がある。津軽氏の経営に係るもので多くは特別保護建造物となつて居る。代表的な妓楼としては寿町では「武蔵楼」、北横町では「あけぼの」が有名だ。