山形県の部

米沢市福田遊廓

米沢市福田遊廓は山形県米沢市相生町(あいおいちょう)に在つて、奥羽本線米沢駅で下車すれば西へ約六丁の位置に在る。

旧上杉氏の城下で公園には鷹山公を祭った上杉神社がある。鷹山公が蠶糸業を奨勵し出して以来、米沢織の産地として天下に其の名の届かぬ処は無い。従って織物の好況不況は直ちに遊廓にも影響する処と見て差閊は無からう。宿場から現在の遊廓に移転したのは、明治十九年の五月で、当時は僅々五軒の同業者に過ぎなかつたが、其の後漸次に増加して大正六年五月廿二日の大火災当時には既に十一軒に成って居た。其後復興して現在営業を続けて居る家は八軒あって、娼妓は約三十五人居る。殆んど同県下の女と少数の福島県の女とである。店は写真制で陰店は張って無い。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。客の好みに依って時問制もやれば廻し制もやって居る。御定りは本部屋で遊べば三円に税が十四銭、廻し部屋で遊べば二円で税が十四銭で一泊が出来る訳である。此の御定りには簡単な酒肴が附く事に成って居る。妓楼は丸喜楼、廿水楼、新芳楼、昌平楼、朝日楼、武蔵楼、住の江楼、東陽楼等がある。

小松町遊廓

小松町遊廓は山形県小松町(こまつまち)に在つて、米坂線小松駅で下車する。

小松町附近一帯が養蠶地であり、且つ機業地で人口約一万の繁華地である。貸座敷は四五軒あって、娼妓も十五六人居る。店は写真店で、居稼制、遊興は廻し制で、本部屋は無い。費用は御定り一円八十銭で台の物が附く。此れで一泊も可能だ。

高畠町

高畠町は山形県東置賜郡高畠町に在って、高畠鉄道高畠駅で下車すれば南へ約三丁の地点である。

此処は昔乍らの宿場に成って居て、目下貸座敷は「恵比寿楼」と「椿楼」の二軒しか無いが、家は落着いた古風な建物だ。娼妓は全部で八人居るが全部本県下の女である。店は陰店を張って居て、娼妓は居稼ぎ制だ。勿論客の廻しは取るが通し花はやらない。費用は甲が本部屋で酒肴四品付きが三円五十銭、乙は廻し部屋酒肴四品附きが二円五十銭、丙は廻し部屋で御茶菓附きが二円、税も含んで居るから此で一泊が出来る勘定だ。妓楼は恵比寿楼と椿楼

赤湯遊廓

赤湯遊廓は山形県東置賜郡赤湯町(あかゆまち)にあって、鉄道は東北線赤湯駅で下車する。長井線の分岐点に当ってゐて、町は温泉地である為め相当活気のある町であり、湯治客の出入も相当多い様である。

遊廓の妓楼数約三軒、娼妓約十三人居り、御定りは三円と二円とあって、遊興は廻し制である。本部屋は一円増だ。勿論酒肴が付く。割合にのんびりして遊べる処だ。娼妓は主に同県人の女が多い。付近の名勝として烏帽子山(えぼしやま)と白龍湖であらふ。丘上には県社の八幡神社があり、傍らに県下第一の桜の名勝偕楽園がある。白龍湖は古の置賜太湖(おきたまたいこ)の遺物で、中には浮島があって、鮒、鯉、海老等が採れ、赤湯の宝湖である。湖畔には弁財天がある。

宮内遊廓

宮内遊廓は山形県東置賜郡宮内町(みやうちまち)にあつて、鉄道は東北線赤湯駅で長井線に乗換へ宮内町で下車する。

養蠶地として昔から知られて居るので製糸工場が多い。遊廓の貸座数数は約三軒、娼妓は約十二人居る。御定りは三円、二円とあって、酒肴附一泊可能。本部屋は無い。遊興は東京式廻し制、店は写真制で重に土着の人を相手にして居る。町の後に今雙松公園があって、相当大規模な公園だ。風景のよい公園であって、熊野神社がある。

長井町遊廓

長井町遊廓は山形県西置賜郡長井町(ながいまち)字東町に在つて、長井線長井駅で下車すれば東南へ約五丁の処である。

此処も米流織(よねりゅうおり)の産地で、と云ふよりも、荒砥(あらと)よりは此処の方が量に於て本場かも知れない。松池公園は白つゝじの名所で、土地には「長井の名所は松ヶ池公園で、土手は一面白つゝじ、遥に見ゆるは東町の不夜城よ、前を流るゝ其の川は、日本で名高き最上川」と云ふどん〃節がある。此処から北へかけて最上川の峡谷に成って居る。明治十年頃には宿場の貸座敷が二戸あったのみだったが、大正七年に遊廓と成って移転し、現在では同業者が五軒に殖えて居る。娼妓は全部で二十人居るが殆んど本県下の女である。店は写真式で、居稼ぎ制である。廻し制で、通し花はとらない。費用は甲三円、乙二円十五銭、本部屋は一円増し、此れで各一泊が出来て台の物が附いて来る。娼楼には、新松川、万景楼、古川楼、松川楼、第二竹本等がある。

左沢遊廓

左沢遊廓は山形県東置賜郡左沢町(さざわまち)にあって、鉄道に依る時は奥羽線赤湯駅で長井線に乗換へ、左沢駅で下車する。

現在遊廓の貸座敷数は約四軒、娼妓は約十四五人居て、全部本県の女。店は写真制もあ。陰店制もある。御定りは二円五十銭で一泊が出来、酒肴付である。本部屋は無い。当地は機業地帯なので、花街は相当に繁昌して居る。

荒砥町遊廓

荒砥町遊廓は山形県西置賜郡荒砥町(あらとまち)字吾妻町に在って、長井線荒砥駅で下車すれば東へ約四丁、タクシーは市内五十銭均一である。

此処は養蠶の盛んな処で、米沢織の産地である。遊廓には目下貸座敷は二軒しか無いが堂々たる構への料理店は沢山あって、花柳界は可成殷盛である。娼妓は六人居るが皆本県下の女で比較的粒が揃って居る。店は写真式に成つて居て陰店は張つて無い。娼妓は廻し制で、芸娼妓共に居稼ぎ制である。費用は甲が芸妓一人附いて五円、乙は芸妓無しで二円六十銭、丙も芸妓無しで二円十銭だ。此れで各台の物が附く上に、午後六時から登楼して翌朝の六時迄居ても差支へ無い事に成って居る。娼楼は(丸高)高山弥次郎(丸金(まるきん))山口ゑいの二軒である。付近には最上川鉄橋、八乙女八幡、種蒔桜等がある。

上山町遊廓

上山町遊廓は山形県南村山郡上山町(かみのやままち)字新町にあって、鉄道に依る時は、奥羽線上山駅で下車、北方約十丁位の個処にあって、町の中北を通って居る国道に沿ふて北方約七八丁位行き、四つ谷街道に入り約一丁位の処にある。

温泉町であるので早くより各地人から広く知られ、又上山は松平氏の城下であった為めに相当繁昌を極めた処であるが、遊廓は最初国道筋にあったものが明治三十年頃現在の新町に集合して廓となったもので、目下は楼数四軒、娼妓約二十人位居り、湯治客及近在の者等の為め相当繁昌を極めて居る。娼妓は重に送り込制でなく全部居稼ぎ制で、時間制もあれば廻し制もある。店は元は陰店制であったが、目下では全部写真制となって居る。御定りは遊興税共甲二円五十銭、乙は一円八十銭位で、本部屋は普通一円六十銭増である。即ち本部屋遊び一切含み四円十銭で時間遊び最低一円二十銭、新湯が町の中に湧出じて、一般の遊山傍々の湯治客の為め非常な人気を呼んで居るので、芸妓も相当に多く遊廓に芸妓を呼ぶ事も出来る。芸妓は玉代一時間一円三十銭位である。

特殊の情緒は毎年の例として盆には盆踊が遊廓の中で催され。多くの客と入乱れて、踊り狂ふのが見物である。附近の名勝、四方山に囲れ一盆地をなして居るので、四季の変化にともなって、極めて美しい景色が織られる、最近スキー場も出来、冬の運動地として多くの人々が出入をする様である。不動の瀧、国蔵山、三吉山、岩観音等の名勝があり、月岡城址は今公園となって町を眼下に俯敢し、非常に眺望の美い所である。町の端には「春雨庵」と言ふ沢庵禅師の遺跡があるので有名だ。妓楼は新吉楼、新吉楼支店、舞鶴楼、柏木楼、瀧本楼等である。

山形市遊廓

山形市遊廓は山形県山形市小姓町(こしょうまち)に在って、奥羽線山形駅で下車すれば東方へ約六丁北山形駅で下車すれは東方へ約十二丁の地点である。何れの駅からも乗合自動車の便があって、遊廓入口停留場迄の賃金は十銭である。

当市には県庁あり、旅団あり、高等学校もあって県下第一の都会である。漆器、のし梅の産地として有名だ。此処から西北へ約三里程の地点には、有名な奇勝山寺があって自動車の便がある。宿場から遊廓に改まったのは明治十七年であるが、明治二十七年の大火には一軒残らず類燃して終つた。だが忽ちにして復興し、素晴らしい大厦高楼が軒を連らねて一大遊廓が建設せられて現在に至ったものである。数年前迄は二十二軒あったのであるが、財界不況のあほりを食って大店が三軒共討死をしたのは一寸淋しいが、其れでも未だ十九軒残って居て、盛んに気勢を揚げて居る。娼妓は全部で百九十一人居て、一部秋田県人の他は全部山形県の女性である。店は写真制で陰店は張って無い。娼妓は居稼ぎで送り込みはやらない。本部屋も廻し部屋もあって、廻しを取って居る。費用は甲五円、乙三円五十銭、丙二円五十銭で各酒肴が附く事に成って居る。本部屋に入るには甲が一円五十銭増し、乙が一円二十銭増し、丙は一円増しと云ふ事に成って居る。勿論此れで一泊が出来るのだ。妓楼は、新よし楼、青柳楼、丸亀楼、新青柳楼、亀よし楼、品川楼、一力楼、花よも楼、万亀楼、奥川楼、松井楼、吉野楼、金万楼(かねまんろう)、日の出楼、花村支店、大金楼、花村楼、中粂楼等である。

寒河江町

寒河江町は山形県西村山郡寒河江(さがえ)町字上西小路に在って、左沢線(さざわせん)寒河江駅から北へ約五丁の個処である。

宿場で元は貸座敷が三軒あったのであるが、大正八年以来は「庄内家」がたった一軒に成って終った。娼妓は六人居るが全部山形県の女である。店は写真式で陰店は張って無い。廻し制で通し花は取らない。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。費用は御定り酒肴附が三円二十銭で、茶菓付きが二円八十銭だ。本部屋は二十銭増しである。匁論此れで宵から一泊が出来るのだ。附近には最上川、八幡公園、長岡山、慈恩寺等がある。芸妓の玉代が一時間一円。

谷地町遊廓

谷地町遊廓は山形県西村山郡谷地町に在て、奥羽線、神町駅(しんまちえき)で下車すれば西へ約二十丁の地点に在る。神町駅から谷地行きの軌道を利用すれば約十五分か二十分位で行ける。

此処の貸座敷は今だに宿場的に散在して居て、他の様に遊廓とは成って居ない。現在貸座敷は四軒あって、娼妓は二十五人居る。店は写真式で陰店は張って居ない。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は全部廻し制であるが、本部屋と云ふ特殊な設備は無い。費用は甲が三円五十銭、乙が三円、丙が二円で税が約百分の十四取られる。甲には御銚子が附き、乙と丙には茶菓が附いて一泊が出来る仕組みに成つて居る。妓楼は寿楼、養花楼、若竹楼、干歳楼等である。

楯岡町

楯岡町は山形県北村山郡楯岡町(たておかまち)に在つて奥羽線楯岡駅で下車して北へ約十丁の個処にある。

楯岡は人口約一万の繁華地で、旧幕時代に蝦夷、樺太等を探検した最上徳内と云ふ人の出生地で、近藤重蔵、間宮林蔵等の先鞭者であった。貸座敷は五軒あるが昔乍らの宿場に成って居て旧幕時代の飯盛女気分が徴かに残って居る。店は写真式に成って居て、陰店は張って無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。廻し制で通し花は取らない。費用は本部屋が三円三十銭で酒肴附、廻し部屋は二円三十銭で茶菓附、何れも宵から一泊が出来る事に成って居る。妓楼は新島楼、但馬楼、岩城楼、東楼、平楼の五軒で、娼妓は全部で十五人居るが、殆んど山形県の女計りだ。芸妓の玉代は一時間一円である。附近には東根温泉がある。約二里。

新庄遊廓

新庄遊廓は山形県最上郡新庄町や万場町に在つて、万場町遊廓とも云ってゐる。奥羽線新庄駅で下車して北へ約十二丁の処にある。乗合自動車の便があるから、万場町停留場で下車すれば宜しい。名は遊廓と云ふ事には成って居るが、事実上に於ては未だ同道に沿ふた宿場に成って居る。遠からず完全な遊廓と成る事だらう。新庄は奥羽線と小牛田線との交叉点で、奥羽地方に於ける交通の要路である。人口約三万、市政の施かれるのも必らず近い将来に在る事だらう。貸座敷は現在七軒あって、娼妓は全部で二十八人居る。店は全部写真式で店は張って居ない。勿論送り込み制では無い。大阪式の時間制でも無いので廻しは取って居る。御定りは甲(ビール一本付)三円、乙(御銚子一本附)二円五十銭、丙(茶菓附)二円、外に各十三銭宛の税が附く。甲と乙には勿論肴及小物が部く事に成つて居る。本部屋に入るには各一円増しである。芸妓も呼べるが、玉代は一時間一円三十五銭宛である。本場丈けに「おばこ節」も盛んであるが、里謠に新庄節と云ふのがある。

「花の万場町上れば下る。

鉄のわらじもたまりやせぬ」

「さばね山越え舟形越えて、

逢ひに来たぞや万場町に」

妓楼は福寿楼、千年楼、常盤楼、立花楼、伊勢屋、松川楼、恵比良楼の七軒だ。

酒田町遊廓

酒田町遊廓は山形県飽海郡(あくみぐん)酒田町字新町に在って、羽越線酒田町字新町に在つて羽越線酒田駅で下車すれば西へ数丁、乗合自動車は新町で下車する。

酒田港は和船万能時代には有名な港だった。庄内平野は勿論、遠くは米沢置賜(おきたま)方面の産物を最上川の水辺に依って一手に引受けて、一大荷物の集散地であった。今は茲が起点と成って鉄道が四方に敷かれたので昔程では無く成ったが、依然として交通上の要路である事を失はない。有名な大地主本間氏の根拠地で、別邸の庭園等は可成豪壮を極めたものである。(本間様には及びも無いが、せめて成り度や殿様に)と云ふ里謠がある程だ。遊廓も昔から殷賑して、今町、船場町、高野浜の三ヶ所に在ったものであるが、明治二十七年の大震災後に三ヶ所全部合併して今日に至ったものである。現在貸座敷が三十一軒あって娼妓は約百人居るが、秋田県山形県の女が多い。店は陰店を張って居て、娼妓は全部居稼ぎ制である。客は廻し制で通し花はとらない。費用は御定り(一泊)が三円五十銭で、台の物が附く事に成って居る。最低二円八十銭でも遊べる仕組もある。娼楼は小川屋、門真楼、福田楼、常磐家、藤美屋、緑屋、越後谷、群芳楼、桜屋、吾妻家、松村屋、本五楼、柿崎屋、吉田屋、出島屋、西村屋、明園楼、藤屋、下総屋、喜楽亭、海望楼、翠峰楼、松山屋、北海楼、一笑亭、美咲屋、宮崎楼、真田屋、五十嵐屋、清月、高砂屋等である。おばこ節の本場

「おばこ何処さ行かしやんす、こん紺の前掛なんどちょいと締込んで」コバエチヤ〃

「おばこ来るかやと田圃の端れまで出て見たば」コバヱチヤ〃

「おばこきもせで甲の無い煙草売、なんどふれて来る」コバエチヤ〃

湯温海村温海遊廓

湯温海村温海遊廓は山形県西田川郡湯温海村(ゆあつみむら)字温海(あつみ)にあって、鉄道は羽越本線温海駅で下車し、東へ約二十丁位の所にある。乗合自助車の便があって、片道料金二十銭位である。

非常に不便な地理的関係で、あまり世間に知られて居なかったが、羽越線が開通する様になつてから急に知れ渡つて来た処である。温泉場だから保養がてらの遊山には絶好適地、旅館は一泊二円五十銭以上位である。妓楼の軒数は約三軒娼妓は、約二十人位居て全部居稼ぎ制である。店は陰店制で、東京式時間制及廻し制が普通である。御定りは三円十五銭也で普通洒一本及肴三品付である。又一泊の遊びは最低三円二十銭位からは客か意の儘である。一時間は一円八十五銭(御茶代共)であるが、時間を途中から増す場合は、同様一時間約一円の計算となるのである。芸妓の玉代は一時間一本とし遊税共一円四十銭位である。特風は遊廓兼芸妓屋なので芸妓を呼ぶにも手軽な事だ。温海民謠

「御ざれヾと言はるゝまゝに、温海来て見れや月が出る」

「温海〃と自動車はしる、二十三軒軒別へ」

附近の名勝は温海嶽、大清水、湯見ヶ瀧、平島海、水漁場、暮坪立岩、大島、日本百景の笹川流、スキー場等である。妓楼は竹岡楼、角恵比楼、福本楼の三軒である。

大山遊廓

大山遊廓は山形県西田川郡大山町にあって、大郷山の川に沿ふか地点にある。鉄道に依る時は羽越線加茂駅で下車し、東方の里道に沿ふて約三里位の処である。自動車の便もあるので之を利用する方が得策だ。現在遊廓妓楼約三軒、娼妓約十五人位居て東京式廻し制で、遊興費は二円位より最高五円見当と思へば間違ひない。本部屋は無い。

松嶺町新町遊廓

松嶺町新町遊廓は山形県飽海郡(あくみぐん)松嶺町字新町にあって、鉄道は陸羽西線の砂越駅で下車して東方へ約二十七町位の処にある。駅から乗合自動車の便があって、後藤自動車部に申込めば直ちに直行する。賃金約四十銭である。四五年前迄は二三軒あったのであるが、不景気の為めに休業して、目下は唯一軒「藤本家」があるのみだ。娼妓約五人で全部居稼ぎ制である。店は陰店制で、通し花制ではなく、又時間制でもない。東京式の廻し制である。御定りは本部屋廻し部屋の区別なく、酒肴附は二円八十銭で、菓子と御茶附なら二円四十銭、尚何にも附かずなら一円八十銭である。二枚鑑札は居ない。附近の名勝は総光寺、松嶺町公園、三十三間堂等あって相当名有である。民謡「御出くなんせ我が松嶺へ、花も実もあり心もある」

湯田川温泉遊廓

湯田川温泉遊廓は山形県西田川郡湯田川温泉場に在って、奥羽西線鶴岡駅から西南へ約二里、駅から乗合自動車の便があって、往復の賃銀が五十銭である。

散娼制から集娼制に成ったのは、明治四十二年の大火災以後の事である。温泉場ではあるが、湯治客は重に近郷の人々が多いので、土地の人々は総体に純朴である。貸座敷は目下五軒あって娼妓は三十五人居り、全部本県下の女計りである。陰店は張って居ない。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。客の廻しは取って居る。費用は御定りが三円九十銭で、乙が二円九十銭である。此れには台の物の代金も含んで居るのだ。娼楼には桜花楼、場照楼、新清楼、幸至楼、藤沢楼等がある。附近には金峰神社、遊行上人の墓等がある。土地ではおばこ節が盛んだ。

湯の浜遊廓

湯の浜遊廓は山形県西田川郡加茂町(かもまち)字湯の浜にあって「羽前大山(うぜんおおやま)」駅の北約一里三十町位の地点にあって、乗合自動車は五十銭、馬車なら四十銭位で行く。

日本海の波打際に臨み、海水浴場を兼ねた好温泉場なので夏は相当に人々が入り込む。町の中央に遊廓があるので、白昼も尚絃歌が絶へないと云ふ乙な処だ。近在の若者が遊廓をのぞきに来るが張店もなく、写真もなく、勝手に妓楼に登って室をのぞいて歩く、交渉は凡て直接談判である。又茲で一つの面白い事は、履物をかくされる恐があるので、若者は各々自分の履物を腰にぶらさげて行くと云ふ、誠に風変な点が独特の情調であるらしい。御定りは娼妓玉代一円八十銭、一泊二円位から五円位迄で充分だと云ふ事だ。

加茂町遊廓

加茂町遊廓は山形県西田川郡加茂町(かもまち)にあって、鉄道は羽越線加茂駅で下車する。

昔から小さな魚港であったが、羽越線が開通してからは急に町に活気を呈して来た。現在遊廓の貸座敷数は三軒、娼妓約十五人居り、遊廓は東京式廻し制度になって居ゐが、新開地らしくない。のんびりした気分のある処だ。御定りは最低二円位から一二四円見当であとは客の意の儘である。本部屋の設備は無い。裏日本の淋しい気分は如何としても打消し難いが、又其処に云ひ知れぬなつかし味がある。土地の人情もこまやかだ。

鶴岡遊廓

鶴岡遊廓は山形県東田川郡鶴岡(つるおか)かにあつて、鉄道ならば羽越線鶴岡駅で下車する。

従来迄此の町には鉄道がなく、大鳥川を利用して通交して居たのであるが、最近羽越線が敷かれてから響しく発展した町である。目下遊廓の貸座敷数は六軒娼妓約三十人位居る。店は陰店制及写真制の両様である。御定りは一泊酒肴付二円五十銭位より五六円見当で全部東京式廻し制である。本部屋は四円から。

尾花沢遊廓

尾花沢遊廓は山形県北村山郡尾花沢町(おばなざわまち)にあつて、雪の名所地である。付近は積雪一丈位になる事はさして珍しくないさうである。鉄道に依る時は奥羽線、大石田駅で尾花沢線に乗換へ、尾花沢駅で下車する。現在妓楼は二軒娼妓は約五六人位居り、重に本県人多く東京式廻し制度で、遊興費は一泊で一円五十銭、二円、三円、四円位の等級に分れ、等級に応じて酒肴が付く事になって居る。本部屋は無い。