函館本線附近の部

函館市大森町遊廓

函館市大森町遊廓は北海道函館市大森町にあつて、鉄道は函館本線の発車点に当つてゐて、北海道の門戸である。駅からは乗合自動車が出る。大森町で下車すればよい。

函館市港は山高く水深くて、風浪を避けるに宜しく、又港湾の設備も可なりに整つて居るので、あらゆる点に於て北海道第一の良港だ。又古い開港場としても知られて居たので廓の歴史も相当に古く、判然はしてないが、現在貸座敷約百拾六軒ばかりあつて娼妓は約五百七十人位居る、重に北海道奥羽地方の女が多い春から秋にかけて人の出入が多く、最も活気を呈して殷賑を極めるのは夏場である。陰店制も現今では全部写真制に改め、遊興は、全部東京式廻し制である。御定りは酒肴或は茶菓附一泊四円二十銭、三円五十銭、二円五十銭(税共)とあり、特に本部屋代としては取らぬ様で先客から本部屋に入る定となつて居る。芸妓も呼べる。玉代一時間一円位で祝儀は客の任意である。

附近には、臥牛山の函館公園があつて、一帯の地は風光明媚を以て知られてゐる。附近には五稜廓と湯の川温泉もあつていづれも電車の便がある。

江差町遊廓

江差町遊廓は檜山郡江差町字新地に在つて、函館鉄道本線本郷駅から西へ約十五里江差(えさし)行きの乗合自動車があつて約二時間、賃金は三円八十銭である。江差は北海道西岸の要港で、江差追分節の本場として有名だ、江差港は景色の善い処で鴎鳥、大島、小島等がおぼろに霞んで見える辺りは、何とも云得ない気分だ。明治三十二年の大火に、沿革史類は悉く焼失して終つたので、判然した事は判らぬか、天保年間には「江差の五月は江戸にも無い」と歌はれた程の殷盛を極めたものらしく、明治三十三年に復興した当時は、茲の漁場の全盛期で、妓楼五十軒、娼妓二百八十人を算したと伝へられて居る。現在では、松月楼、曙楼、二葉楼の三軒しか無く成つて、娼妓もたつた十二人に減少して終つた。秋田県青森県の女が多い、店は写真式で陰店は張つて無い。娼妓は全部居稼ぎで送り込みはやらない。廻し花制で通し花は取らない。費用は御定りが三円二十銭で、一泊が出来、台物も付いて来る。芸妓も呼べる。本部屋は無い。

江差(えさし)追分(おいわけ)「松前江差の鴎島は、地から生へたか、浮き島か」

森町遊廓

森町遊廓は北海道茅部郡森町字内浦に在つて、函館本線森駅下車、東へ約一丁の地点にある。

昔は茲も宿場で飯盛女が盛んに跋扈して居たものであるが、法令に依つて女郎屋と成り更らに遊廓と変化したものである。現在貸座敷業は五軒あつて娼妓は二十人居る。

制度は総て東京式で居稼ぎ制であり、写真制であり、廻し式である。遊興に甲乙の二種あつて、甲は本部屋で三円九十銭であり、乙は廻し部屋で三円と云ふ事に成つて居る。此れが茲の御定りで、此れ以外に遊び方は無い。勿論御銚子が附く筈である。遊興税は消費高の一割である。但しチツプは含んで居ない。時間制と云ふのは短時間遊びの事で、一円四五十銭見当だ。妓楼は、観月楼、二福楼、梅香楼、千葉楼、松月楼、等である。因に此辺は松前追分節が盛んである。

寿都町遊廓

寿都町遊廓は北海道後志国寿都(すつ)町にあつて、汽車は、函館本線、黒松内駅で寿都線へ乗換へ、寿都駅で下車する。貸座敷は約四軒娼妓は約十五人位居る。東京式廻し制店は陰店を張つて居る。遊興費は岩内と同し程度と思へば間違ひない。

余市町遊廓

余市町遊廓は北海道後志国余市町にあつて、汽車は函館本線余市駅ヘ下車する。乗合自動車又は馬車の便がある。貸座敷現在、五軒、娼妓は約二十人位居る。主に北海道奥羽婦人が多い。御定りは参円五十銭二円五十銭とあつて、酒肴付で一泊可能と言ふ事になつて居る。親切だとの評判場所柄当然と思はれる。

岩内町薄田遊廓

北海道後志国岩内郡岩内町薄田に在つて、日本海に面した港町である。岩内線岩内駅で下車すれば、西南約十五丁の処に本遊廓が在る。明治二十年頃迄は、岩内町青橋附近に貸座敷が散在して居たものである。其当時は仲々斯業が発展して居たもので、貸座敷が十五六軒もあり、娼妓も百数十人居たものだつたが、郊外に近い現在の個処に移転してからは、徐々に衰微の形式を辿り来つて、目下の処では僅かに貸座敷が三軒残つて居るのみで、娼妓も十三人に減て居る。店は写真制で、娼妓は居稼制に成つて居り、送り込み制では無い。勿論廻しは取る事に成つて居る。御定りは三円で甲も乙も無い。只本部屋に入るには一円増しと云ふ事に成つて居る。而して御銚子が一本附く筈だ。税は消費額の一割である。娼妓は北海道東北地方の女が多い。遊楼は、北辰楼、豊精楼、末広楼、の三軒。

小樽南仲桝遊廓

小樽南仲桝遊廓は小樽市京町に在つて、小樽又は中央小樽駅から西南へ約十二三丁の地点に在り、タクシーは一円である。小樽は安政の頃迄は一小魚村に過ぎなかつたが、北海拓殖の発展に伴つて繁昌し、地の利と築港と相俟つて今では大函館市と肩を並べて居る勢だ。高等商業学校があり、水産試験所があり、小樽、中央小樽、小樽築港の三駅を所有して居る。手宮には今から約千二百六十年前に、土耳其(トルコ)人の建てた靺鞨語文の珍らしい碑がある。遊廓も南廓の外に北廓もある。

此の南廓には目下貸座敷が九軒あつて娼妓は約五十人居るが、重に青森県山形県秋田県地方の女が多い。店は写真式で陰店は張つて無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は御定りが甲四円(本部屋)で、乙は三円、丙は二円五十銭である。各台の物が附いて一泊が出来る。娼楼には、鯉川楼、全盛楼、加陽楼、松金楼、三亀楼、長明楼、山一楼、北越楼、旭楼等。

小樽市梅ヶ枝町(北)遊廓

小樽市梅ヶ枝町(北)遊廓は北海道小樽市梅ヶ枝(うめがえ)町にあつて、函館本線、小樽駅で下車する自動車或は乗合自動車がある。

遂四五年以前迄は貸座敷も可成に多く南遊廓と歩調を揃へて居つたのであるが、打続く不景気と、私娼の著しく増加したのとに原因して、最近は多少の廃業者を出したので現在は十二三軒、娼妓は約七十人位に減つた様である。娼妓は、奥羽人多く、店は写真制で、遊興は東京式廻し制度になって居る。遊興は南遊廓とはほゞ同等と思へば可い。

札幌白石遊廓

札幌白石遊廓は札幌市白石町字一条から五条迄が一廓成につて居て。札幌駅から東南へ約廿丁、市電は大門前で下車する。賃金は片道六銭。

札幌は全道の行政上の中心地で、道庁があり、鉄道、逓信の各管理局、税務監督局、帝国大学等があり、大日本ビール、帝国製麻、鉄道省等の大工場がある。市街はアメリカ式の明るい様式で、道幅は広く、且つ碁盤の目の様に整然として居る。市街の中央には市を南北に分断した大通りがあつて、黒田清隆や、永山将軍等の銅像がある。帝大附属の植物園と、市の中島公園とは全国的に有名である。明治初年に開設された遊廓で札幌市南五条に薄野遊廓と云ふのが在つた。其れが大正九年に現在の個処へ移転して来たものである。

現在貸座敷は三十一軒あつて、娼妓は二百五十人居るが、北海道の女が最も多い。店は写真制で陰店は張つて無い。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し花制で通し花は取らない。費用は甲が四円二十銭で、乙が三円二十銭、丙は二円五十銭で宵から一泊が出来る但し台の物は付かない。本部屋へは先客順に這入る事に成つて居て増しは取らない。娼楼には、釣月楼、昇月楼、久津和楼、新盛楼、第二新盛楼、玉楼、有明楼、北国楼、高砂楼、天田楼、栄清楼、松島楼、昭和楼、源氏楼、日光楼、志喜島楼、満月楼、喜久川楼、南花楼、栄太楼、一二三楼、富山楼、福井敷、一力楼、丸喜楼、北越楼、岡田楼、宮島楼、大正楼、等がある。

江別町遊廓

江別町遊廓は北海道札幌郡江別町字江別に在つて函館線江別駅で下車すれぱ北へ約十丁の個処である。江別町は石狩平野の中央にある繁華地で、石狩川と江別川との合流点に成つて居て、石狩川航行汽船の起点に成つて成る。

遊廓には目下貸座敷が六軒あつて、娼妓は全部で三十五人居るが殆んど北海道生れの女計りである。店は写真制で陰店は張つて無い。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は御定りが二円六十銭で一泊が出来、台の物も附く事に成つて居る。妓楼には金嘉楼、栄楼、全盛楼、武蔵楼、有明楼、千歳楼等がある。

岩見沢町遊廓

岩見沢町遊廓は空知郡岩見沢町字元町に在つて、函館本線岩沢見駅から東北へ約十二丁タクシーは賃一人五十銭である。

岩見沢は石狩平野の中心地で、空知炭田の中心市場である。人口約二万五千の繁華地で、室蘭線は茲に起点を置いて居る。貸座敷は目下六軒あつて娼妓は廿五人居る。北海道の女が多い。店は写真店、娼妓は居稼ぎ制で、遊興は東京式廻し制。甲は本部屋で四円二十銭乙は廻し部屋が三円、何れも台の物が附いて来る。妓楼は、曙楼、栄楼、喜笑楼、豊水楼、入丸楼、一二三楼、の六軒。

哥志内沢町遊廓

哥志内沢町遊廓は北海道石狩国哥志中沢町にあつて、汽車は函館本線の砂川駅で哥志内線と乗換へ終点で下車する。有名な鉱山地である。

貸座敷は現在四軒、娼妓約二十人位居るが、重に鉱山に働く人が相手である。御定りは最底一円五十銭位迄あつて、三円五十銭、二円五十銭、四円等は酒肴が附く。特に本部屋としてはない。が廻しは取つてゐる。

瀧川町遊廓

瀧川町遊廓は北海道空知郡瀧川町に在つて、函館本線瀧川駅下車して東へ約八丁の個処に在る。此処は明治二十九年に私娼から公娼制に改革されて現在の遊廓に移転したもので、目下は貸座敷が七軒あつて、娼妓は約四十人居るが東北地方の女が多い。店は写真式の外に陰店も張つて居て、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は御定り甲が三円五十銭、乙は三円、丙は二円五十銭で、甲と乙は本部屋である。台の物は付かない。此の外に短時間遊びは二円見当だ。娼楼は、三角楼、恵比寿楼、都楼、新盛楼、日の出楼、遊嬉楼、昇水楼、の七軒である。

浜益村茂生遊廓

浜益村茂生遊廓は北海道浜益(はまます)郡浜益村字茂生にあつて、未だ交通の便が開けない為めに、海路を利用するのが便利である。そうして鉄道に依る時は函館本線瀧川駅へ下車し西へ約十三里もあり又函館本線深川駅で留萌線へ乗換へ、増毛駅で下車するとしても尚ほ五六里は充分あると言ふ不便な所である。最も便利な方法としては小樽からの定期船を利用する事である、然し目下瀧川駅から自動車開通中であるから近日中には非常に便利となる事と思ふ。大体の沿革は宝永年間に松前氏から三場所の一として指定されてから次第に開けて来た為めに、特定地として当時の拓殖使から。貸座敷を許可せられた。それが引続いて今日に立到つたものである。妓楼の総数は二軒、娼妓は十五人位居り、制度は居稼ぎ制で、店は陰店を張つてゐる。遊興は時間制又は廻し制である。

御定りは参円、外に甲四円と云ふのがある。遊興税は右金額の一割増である。台の物が附いて一泊が出来る。又一時間遊びは壱円七拾銭で之が最低値段である。娼妓は一枚鑑札だから入用の場合は芸妓を呼ぶ事も出来る。玉代は一時間壱円式拾銭位である。特殊の風習は、娼妓は春五四月に成と鰊漁で浜の漁夫の中に交つて、赤いタスキ掛でまめ〃敷く立働く事で、なまめかしい特殊の漁場情緒がしみヾと感じられる。

浜益、民謡「浜益良いとこ、誰が言ふた、うしろ黄金山、前は海、尾のない狐がすむそうな。」

深川町花園遊廓

深川町花園遊廓は北海道雨龍(うだつ)郡深川町、字花園町に在つて、函館本線深川駅で下車すれば西南へ約九丁、乗合自動車を利用すれば賃二十五銭である。

此処の遊廓は明治三十三年に設立されたもので、目下貸座敷が七軒あつて娼妓は三十五人居る。新潟山形青森県の女が多い。店は写真式で陰店は張つて無い。客は廻し制で通し花はとらない。娼妓は居稼ぎ制で、送り込みはやらない。費用は御定りが三円二十銭均一で一泊が出来、台の物も附く規定に成つて居る。芸妓を呼べは一座敷二円。妓楼には深川楼、西岡楼、鶴川楼、金昇楼、旭楼、蛇之目楼、辰己楼、等がある。

留萌町遊廓

留萌町遊廓は北海道天塩国留萌町にあつて、汽車は、函館本線深川駅で留萌線へ乗換へ留萌駅へ下車する日本海岸の良港である。

目下貸座敷の数は約六軒、娼妓は約二十五六人位居て、重に北海道生れの女が多い、店は陰店制が多いので、漁師達は夕景に大勢素通して歩く。此海の地で哀調のこもつた独特の追分を聞くのも又変つた情調のあるもので。御定りは三円五十銭と、二円五十銭とあつて酒肴附で一泊が出来る。夏場になると急に人の多くなるのも又北海道の変つた処である。

ひよ泊村遊廓

ひよ泊村遊廓は北海道北見国ひよ泊村にあつて、妓楼は約三軒娼妓は約十五人位居る。

香深村遊廓

香深村遊廓は北海道北見国永文郡香深村にあつて、妓楼は約三軒娼妓は約十瓦人位居る。

虻田郡田村遊廓

虻田郡田村遊廓は北海道虻田村にあつて、妓楼は一軒娼妓約八人位居る。

増毛町遊廓

増毛町遊廓は北海道天塩国増毛町にあつて、汽車は函館本線深川駅で留萌線へ乗換へ、増毛駅で下車する。

西海岸の良港として小樽からの定期船が通つて居る。漁師港てはあるが、町は一寸賑つてゐる。貸座敷数現在は三軒、娼妓は約十五人位居る。御定りは三円、二円とあつて酒肴附である遊興は東京式廻し制。店は写真制である。附近には鰊、鱒、鮭の漁場がある。

羽幌村遊廓

羽幌村遊廓は北海道天塩国羽幌村にあつて、汽車は函館本線深川駅で、留萌線へ乗換へ、鬼鹿駅で下車する。駅から北方へ約十三里位の地点にある。

一漁村であるが、漁師相手で妓楼五軒、娼妓約十五人位居る。御定りは三円二十銭、二円二十銭とあつて、酒肴或は茶菓附である。廻しは取つてゐる。

旭川市中島遊廓

旭川市中島遊廓は北海道旭川市中島町に在つて、函館本線旭川駅で下車する。

上川平野の中央に在つて、師団司令部がある。酒、醤油、味噌、澱粉、下駄木、鉛筆等が産物で、人口も既に十万に近着いて居る。貸座敷は目下廿七軒あつて。娼妓は約二百人居るが、北海道東北地方の女が多い。店は写真店で、娼妓は全部居稼ぎ制、遊興は時間制又は廻し制で、通し花は取らない。費用は本部屋(甲)が四円で、廻し部屋(乙)は三円と丙二円五十銭とある。何れも台の物が付いて来る。妓楼は

稲巣楼 浪花楼 昇月楼 北越楼 吾妻楼 第三山嘉楼

日の出楼 寿楼 高島楼 東京楼 いろは楼 文明楼支店

吉田楼 豊州楼 鷹栖楼 文明楼 新玉楼 江差楼

恵比寿楼 山嘉楼 喜高昇楼 新川楼 芳泉楼 金松楼

旭川市曙遊廓

旭川市曙遊廓は北海道旭川市曙町にあつて、函館本線旭川駅で下車する。

旭川には、中島遊廓の外に曙遊廓がある。中島遊廓よりは後で生れた処である上に、場処の関係等もあつて、現在は貸座敷が八軒しか無い。娼妓は七十人程居るが北海道の女が比較的多い。制度及び費用等は、中島遊廓と殆んど同様であるから、二重に成る事を避けて置く。

室蘭市遊廓

室蘭市遊廓は室蘭市幕西町に在つて、室蘭線室蘭駅から西へ約六丁の個処に在る。

室蘭は噴火湾の東端に突出た腰部に在る要港で、人口は約五万の都市である。駅は日本一の大駅として有名だ、室蘭市の生命は、日本製鋼所にあると云はれて居る。其れ程の大規模でなり、又其れ程の大量製産があるのだ。貸座敷は目下十六軒あつて、娼妓は九十五人居る。北海道の女が多い。店は写真店で娼妓は全部居稼ぎ制である。遊興は廻し制で通し花は取らない。費用は甲四円、乙は三円で各台の物が付いて来る。甲は本部屋である。何れも一泊が可能だ。妓楼は、第一長栄楼、昭和楼、菊本楼、恵此寿楼、蛇ノ目楼、富山楼、清花楼、いろは楼、第三長栄楼、芸備楼、菊栄楼、清明楼、手留喜久楼、栄太楼、清川楼、明治楼、等である。付近には登別温泉、洞爺湖温泉等がある。

幌泉村遊廓

幌泉村遊廓は北海道日高国幌泉村にあつて、大平洋岸の一漁津である。

汽車は根室本線沼の端駅で北海道鉄道へ乗換へ辺留内駅で下車する。駅から約二十里位東南の地点にある村だ。現在貸座敷は一軒、娼妓は約十人位居る。

苫小牧遊廓

苫小牧遊廓は北海道胆振郡苫小牧駅にあつて、汽車は室蘭線小苫牧駅へ下車する遊廓の貸座敷は約七軒、娼妓は約三十人位居て、北海道地方の女が重である。店は写真制及陰店制とあつて、遊興は東京式廻し制になつて居る。御定りは三円半二円五十銭とあつて酒肴附である。勿論此れで一泊も出来る。

付近にはアイヌの部落がある。

浦河町遊廓

浦河町遊廓は北海道日高国浦河町にあつて、汽車は室蘭本線、沼の端駅から、北海道鉄道に乗換へ、辺富内へ下車し北方にある東岸の港である。

貸座敷は約三軒娼妓は約十五人位居り、御定りは三円、二円五十銭とある。娼妓は北海道人多く陰店を張つて居る。勿論廻し制で台の物がつく。

帯広町遊廓

帯広町遊廓は北海道十勝国帯広町にあつて汽車は、根室本線、帯広駅で下車する。

現在は遊廓の貸座敷は約八軒、娼妓は約四十人位居り、青森北海道の女が多い。店は写真制東京式廻し制で、通し花制ではない。

御定りは三円五十銭、四円とあり酒肴附又二円五十銭は茶菓附だ相である。帯広は音更川サツナイ川、十勝川の合流点にあつて一種の港の様な感じのある処だ。

広尾遊廓

広尾遊廓は十勝国広尾郡広尾村に在つて、広尾線甲札内駅から南へ約十五里、乗合自動車の便がある。

広尾村は可成り昔から在つた処で、寛文六年に松前藩士 蠣崎蔵人と云ふ人が来たと云ふ記録があり、又寛政十年十月近藤重蔵と云ふ人が来て測量をしたと云ふ記録もある。遊廓に成る前迄は私娼だつたが、明治三十一年に全部を纏めて本廓と成したものである。現在貸座敷四軒あつて、娼妓は十二人居り、全部本道の女計りである。店は写真式で陰店は張つてない。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。客の廻しは取つて居る。通し花は取らない。費用は御定りが三円で外に税一割、台の物が附く。娼楼には、東楼、二木楼、一二三楼、新竹楼等がある。