豊橋市吾妻遊廓

豊橋市吾妻遊廓は愛知県豊橋市東田町に在つて、東海道線豊橋駅で下車すれば東へ約二十丁、駅から乗合自動車で「東田」ヘ下車すると直ぐである。賃十銭。

豊橋は松平氏の城下で、城址は今師団司令部に成つて居る。付近には鳥居強右衛門で有名な長篠古戦場、信玄が月夜短笛に酔ふて銃傷を負つた野田城跡、砥鹿神社、鳳来寺山、豊川稲荷等がある。殊に豊川稲荷は当代の流行神で、各地からの団体参詣が多い。東京赤坂見附の豊川稲荷は茲の分祀である。

豊橋を中古には今橋と云ひ、徳川時代には吉田と云つた。豊橋に成つたのは明治に成つてからの事である。

「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖が」

と云ふ唄が土地で昔から唄はれて居る様に、豊橋は昔から遊女町として名高い処丈けに今も仲々盛んである。宿場から遊廓に成つたのは明治四十三年十月一日であるが、現在は貸座敷が五十六軒あつて娼妓は四百九十五人居る。群馬、埼玉東京愛知等の女が多い。店は写真制の家と陰店を張つて居る家とがあつて区々である。娼妓は全部居稼ぎ制で、遊廓は客の好みに応じて通し花もやれば廻しにも応じて居る。費用は廻しの一泊は二円五十銭以上五円位迄あり、通し花は五六円から十二三円位迄もある。台の物は時下相場の事。尚此の外に短時間遊びは一円三十銭である。妓楼には西宝光、豊田、楽招福、豊、富永、山本、小石、鹿島、一色、石黒、春本、大文字、山勢、新竹、立花、大垣、松月、美和里、新松月、松房、大丸、戦捷、宝光、入船、山村支店、山村、松岡、、長寿、末広、一広、登幸又、金波、松見、景貴、第二井吹、山口、錦、花菱、新井吹、いろは、角海老、新豊本、本家角海老、稲岡、泉本、宝船、勝太、松島、明開、井吹、井吹支店、貴穗、吉野、鹿島支店、丸六、豊坂等がある。