塩尻遊廓

長野県東筑摩郡塩尻町に在って、中央線塩尻駅下車東へ約二十丁の地点に当って居る。剰合自動車の便があって、約十分で着く。

昔から塩尻は中仙道の重要な宿場で、飯盛女と称する宿場女郎が、盛んに旅人の客席に侍ったものであるが。明治に成つて初めて一廓に取纏め、現在の如き遊廓を形成したものである。貸座敷は目下九軒ありて、娼妓は三十六人居る。制度は居稼ぎ制で、店に成って居り、全部廻しを取る仕組みにかって居る。御定りは三円で遊興税も含んで居るが御定り以外に台の物を注文した場合には、其の消費額の一割は遊興税として掛けられる。御定りの外に上床を要求し度い人は五十銭を奮発せねばならない。御定り金三円也を支払へば娼妓の外に酒肴が運ばれ、芸妓一組も酒席に現はれて座を賑はすと云ふ、面白い 風習のある処である。只面白い計りではなく、三円の御定りにチップの五十銭か一円も奮発したのみで、芸妓を揚げて騒げる上に、貸座敷ヘ一泊が出来ると云ふのだから、斯んな安価な処も尠ないと思ふ。昔から茲には塩尻甚句と云ふ俗謠がある。

「行かうか塩尻、帰らうか洗馬へ こゝが思案の桔梗が原」

妓楼は信陽楼、若竹楼、三喜楼、大和楼、弥生楼、寿楼、湖尾楼、三盛楼、英楼の九軒で ある。