上田常磐城遊廓

上田常磐城遊廓は長野県上田市花園に在つて、信越線上田駅で下車すれば北へ約十五六丁の処である。朝五時頃から夜十時迄は市電が走つて居て、花園停留場で下車すれば宜しい。朝五時頃から夜八時迄は乗合自動車の便もある。市内を見物がてらにそゞろ歩いても三十分位で行き得る処である。

元来上田と云ふ処は、日本でも有数の養蚕地で、信州では先づ首位の処だらう。現に当市には上田蚕糸専門学校があって、盛んに高等の専門家を養成して居る。其れ程養蚕の盛んな処である。従って市の盛衰も一に生糸の消長が依つて或る程度の支配を受けて居る訳である。然し生糸の需要は年々増加する一方で、其の止まる処を知らざる有様である事は諸君の方が御存じだ。当遊廓は明治十一年に許可されたもので、地敷は一万歩であった。当時の同業者はほんの四軒で、娼妓が廿二名しか居なかったのであるが、養蚕業と市の発展に伴ひ、現在では貸座敷業が二十軒、娼妓が百三十六人と云ふ素晴らしい発展振りである。市政を施かれてから十年そこ〃の市だけに、何と無く新開町の気分があり、町全体に覇気があって、植民地へでも行った様な感じのする処である。

店は写真制の店と、陰店の両式に分れて居て、娼妓は居稼ぎ制で送り込み制では無い。遊び方に時間制の店と、廻し制の店との両方がある。又店に依つては客が好みに応じて両方を兼ねて居る家もある。御定りは廻し制で甲が四円、乙が三円、丙が二円五十銭、税が一割と云ふ事に成つて居る。御定りは全部本部屋である。茲の娼妓は多く信州の女である。茲では里謠「昭和甚句」と云ふのが盛んに唄はれてゐる。

「夏は七夕上田の新地、秋の花火は日本一よ。 真田の御櫓上田橋、とこ騒ぎで万々歳」

妓楼は、葛城楼、大中楼、新中楼、大竹楼、辰巳楼、第二筑摩楼、高本楼、美豊楼、八幡楼、元一力楼、昭和楼等である。