長久保遊廓

長野県小県郡長久保町字新町に在つて、丸子線丸子駅の南方約二里の地点に当つて居る。丸子駅よりの定期乗合自動車の便があつて、絶えず汽車との連絡が取れて居る。片道自動賃は金五十銭である。

茲は徳川幕府参勤交代の当初から、中仙道の重要な宿場であつて、其の当時既に各旅館では飯盛女(今の娼妓)を置く事を公許せられて居た場所である。で元は斯様に宿場であったものが、目下では町と少々離れた処に移転して、遊廓と成ったものである。同業者は四軒娼妓は十六人居る。店は陰店で、娼妓は居稼ぎ制で、全部東京式の廻し制を採って居る。従って遊興費も比較的安価である。即ち御定りは朝から夕方迄が一仕切、夕方から翌朝迄が一仕切で三円である。此の三円の中には、御銚子が一本と肴に小物の二三品は付く筈である。而も遊興税の一割も此の中に含んで居るのだ。比較的諄朴で暴利を貪る様な事は無い。茲は三円ぽっきり持参しても決して不快を感ずる様な処では無い。芸妓を呼べば玉祝儀共で一時間一円五十銭の割である。

長久保甚句「長い長久保、なかれとやけど

ぬしさん一人は帰しやせぬ」

妓楼は三つ蔦楼、高篠楼、若松楼、新栄楼の四軒。