新渇市十四番町(北廓)遊廓

新渇市十四番町(北廓)遊廓は新潟市十四番町にあつて、市街の中央の柾谷小路から本町或は東堀通りを真直に北へ約十町、自動車なら一台一円見当で行く。四ッ谷町一丁目東堀町十三番町、本町通り十四番町、寄付町西受地町横七番町二丁目等に跨がって居るが元は常磐町本町十四番町の二ヶ所だつた。新潟は貧家娘や未亡人が内職的に稼いだのが色街の発端である。昔は新潟の「八百八嬬」と言って有名であった、古来新潟は富豪が多かつたし花柳界の繁栄は大したものであって為めに美人連が集り自然淘汰されて今の美人系となったとの噂である。貸座敷九十四軒娼妓約五百人芸妓約六十人居つて芸妓は遊廓妓楼に抱へられて居るのだ。多くは陰店制であるが本町通り十四番町と常磐町通り方面には張店もあって、昔からの遊廓気分がある。有名な妓楼は、会津楼、会々楼、桜家等で御定りは時間制となって居るので一時間二円見当、又一泊なら酒肴付或は荼菓附その家々に依つて異って居るが、六円五十銭見当だ芸妓を呼ぶなら一時間(六本)一円五十銭位の玉代である祝儀はなく特別祝儀は客の任意、特有の民謡「新潟おけさ」「樽たゝき」「新潟追分」は近代味の豊富に洗練されたものである。

「おけさ節」おけさ正直ならそばにも寝せうがおけさ猫の性でじやれかゝる

「越後追分」櫓の音もゆるく聞えて船江の春は霞む粟生島ぬむる佐渡