富山市東遊廓

富山市東遊廓は富山県富山市清水町(しみずまち)に在つて、北陸線富山駅で下車すれば東南へ約十三丁位な処である。市電又は乗合自動車は「大橋」で下車すれば宜しい。富山市は神通川に跨つた市街で、富山平野の中心点に成つて居る。人口約八万で北陸線では金沢に次ぐ都会である。富山と云へば何人も直ちに薬屋を連想するだらう。事実其れ程又大小の薬屋が群を成して発展しつゝあつて遠く支那、布哇(はわい)等迄にも盛んに手を延ばして居る。従つて遊廓も素晴しく盛大で、貸座敷は六十二軒もあり、娼妓も四五百名働らいて居る。尤も此の遊廓は、明治二十八年に宿場から本遊廓に移転したものであるが、大を為した原因は、大正二年六月に愛宕遊廓が移転して来て、茲と合併した事にも因るのである。制度は陰店式ではあるが、登楼してから相方を撰む事に成つて居る。娼妓は居稼ぎ制で送り込み制では無い。時間制で廻しは絶対に取らない事に成つて居る。従つて何処にも本部屋と云ふものは無い。茲には別に御定りと云ふ物は無いらしい。只一時間が一円と云ふ規定に成つて居て、税が消費額の約一割三分を加算される事に成つて居る。芸妓を呼べば、玉代が一時間一円五十銭宛である。此の辺は一帯に俗謡小原節の盛んな処である。娼妓は富山県石川県地方の女が多い。付近の名所としては、長さ百九十一間の神通橋や旧城址等である。妓楼は、

の六十二軒である