浜島町遊廓

浜島町遊廓は三重県志摩郡浜島町(はましままち)に在つて、参宮線鳥羽駅より志摩電鉄を利用して賢島駅迄来ても善く、又島駅羽から乗合自動車で浜島迄来ても宜しい。此処の海岸は風景の善い処だ。安乗(あのり)、大王、御座(ござ)の三岬から、答志島(としじま)、菅島、坂手島(さかてじま)、安楽島(あらじま)、桃取島、弁天島等の島々が一望の許に煙つて居る様は恰も夢の様である。永禄年中に、元浜島の砦守で小野田筑後と云ふ人が、九鬼嘉隆氏に随身した時に残した兵士が、職業の途無く、天正の頃に至つて其の子女を船人の洗濯を請負はしめた事に因を発して、漸次春を売る事に変化したものである。此の船行洗濯人の事を方言では「ハリシカネ」と云つて居る。此のハリシカネの風紀を取締る為めに、内務省令に依つて明治三十三年十月十三日より現在の遊廓制度に改まつたと同時に港湾稼ぎは一切出来なく成つて終つた。と云ふよりもハリシカネの娘子軍は悉く遊廓内で働らく事に成つたのである。

現在貸座敷が九軒あつて娼妓は二十三人居る。店は陰店式で写真は出て居ない。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊歟は客の好みに依つて、時間制もやれば廻し制にも応じて居る。経費は御定りが二円で、本部屋に這入れば一円五十銭増しである。廻し制で一泊ならば此れで宜しいが、廻し無しの一泊ならば五六円程度である。「浜島善いとこ朝日を受けて、七つ下れば女郎が出る」。「浜島善いとこ港湾控え、出船入船あな面白や」遊楼は、田端楼、一万楼。三光楼、常磐楼、光月楼、吾妻楼、吉川楼、大成楼、のまや、の九軒