滋賀県の部

彦根町遊廓

彦根町遊廓は滋賀県犬上郡(いぬかみぐん)彦根町字袋山に在つて、東海道本線彦根駅から西へ約十三丁、乗合自動車は、河原町、又は久左ノ辻で下車する。賃二十銭。

彦根は江州第一の繁華地で、井伊氏の旧城下、維新には井伊直弼が茲から出身して、西欧文化輸入の先鞭を着けたので、急に彦根が有名に成つた。横浜には直弼の銅像があり、彦根の天寧寺には木像がある。直弼は独り横浜のみの恩人では無く、全日本文化史上の大恩人である。当廓の創立は明治九年で目下貸座敷は六十五軒あつて、娼妓は約八十五人居るが、福岡佐賀埼玉県の女が多い。店は陰店を張つて居て、娼妓は送り込み花制が多く、居稼ぎは極少数である。遊興は時間制、又は仕切花制で費用は一時間遊びが一円十銭、宵からの一泊は四五円で台は付かない。妓楼は

中村楼 富士房 桔梗屋 清瀧楼 瀧柳 上田楼 重の屋

大宇野 中鶴楼 大朝楼 万笑 春富 丸花楼 万屋

万栄 丸矢 日の出 辻春 角屋 花国楼 丸久

川岸 川瀧 京鹿 泉楼 若浅 新盛 一富士

伊吹楼 正歌 吉花 小川楼 若狭や 正春 佐文

北村屋 正木屋 清仲楼 山田屋 丸々楼 万歌 清拾

八千代 吉尊 矢の春 角田屋 高橋楼 梅月 大琴

朝日楼 川衣 吉瀧 丸琴 中花 川崎屋 吉鶴楼

万治 千歳楼 皆遊 金亀楼 川常 川与 花梅

川巻 花の屋 等である

彦根名所小唄「近江彦根は、我日の本の、明治維新の基礎作る」そをぢやヽ、たちばな、かほる、ちよさ、きゆさ、ないヽ「おゝほら弁天、きもんを除ける、いゝの城山、金色よ」附近には金亀城、楽々園、大洞弁天、多景島、官幣大社多賀神社等があり、琵琶湖上汽船の発着所もあつて、風景絶雅である。

八幡町遊廓

八幡町遊廓は滋賀県八幡町に在つて、東海道線八幡駅で下車する。駅から約十五丁、乗合自動車の便がある。八幡山の麓に在るので此の名称があると云はれて居る。東江州でも富裕な土地で、帆布、蚊帳、畳表等の産物がある。貸座敷は現在十軒程在つて、娼妓は約三十人程居る。陰店を張つて居て、娼妓は居稼ぎ制、遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一円位、一泊の通し花は四五円見当である。付近には有名な雪野寺がある。

八日市町延命遊廓

八日市町延命遊廓は滋賀県神崎郡(かみざきぐん)八日市町に在つて、八日市鉄道線の新八日市駅で下車すれば東へ約二丁、近江鉄道線の八日市駅で下車すれば東へ約一丁の位置である。八日市町は、今より約千三百年以前に、付近に瓦屋寺に於て、彼の有名な仏教の輸入者聖徳太子が、四天王寺の瓦を焼いた処で、其の当時から此の町には、毎月二、五、八の日を市日として、近郷近在は勿論、遠くは彦根、手原辺から迄人々が寄つて来て、年々市が隆盛に向ひつゝあつて現在に及ぶ事は有名な事で、八日市の名は此処から出たものだらうと云はれて居る。現在揚屋が四十一軒あつて、娼妓は五十人芸妓が五十五人居る。店は陰店式で写真は出て居ない。娼妓は総て送り込み制ふ稼ぎ制では無い。遊興は時間制で廻しは取らない。一時間が一円五十銭で一泊は六七円見当である。娼妓に比して芸妓の数が比較的多いのは、商業上に花柳界の利用される率の多い事を物語つて居る物だ、芸妓のχ代が一時間七十銭と云ふ法外な安価さも手伝つて居る事も其原因の一つであらふ。遊楼は

五月楼 招福楼 清里楼 魚居楼 東楼 角笑楼 角愛楼

梅花楼 朝日家 吉勝楼 丸藤楼 金笑楼 大正楼 招月楼

若枝楼 一力楼 桔梗屋 お多福楼 福米楼 平の家 丸八重楼

壽し卯 木屋房 角まさ 花の屋 相生楼 清雪楼 浅常

浜屋 浪本楼 万遊楼 三玉楼 天正楼 木屋龍 いろは楼

市福楼 中ふじ 小石屋 新角笑 清定 寺村楼 等がある

草津町遊廓

草津町遊廓は滋賀県草津町に在つて、東海道本線草津駅で下車する。草津は昔から中仙道と東海道との追分として繁華な宿場だつた。今の遊廓は云ふ迄も無く此の宿場の飯盛女が発達したもので今でも中々花街は盛つて居る。町の名物は姥ヶ餅で、忠義な姥が、主君の幼君を育て上げる為めに、苦心惨憺して売り出したものだと云ふ。鏡の様な琵琶湖を一望の許に見渡し得る所があるので、眺壁が至極結構だ。貸座敷は現在は十軒程あつて、娼妓は約三十人程居る。店は陰店を張つて居て、居稼ぎ制、遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一円二三十銭、一泊は台無しで四五円程度である。

水口町遊廓

水口町遊廓は滋賀県水口町にあつて関西本線柘植から草津線に乗車、更に岐阜川駅で近江鉄道に依つて水口駅へ下車する。妓楼、其他詳細な事は判明して居ない。

日野町遊廓

日野町遊廓は滋賀県日野町にあつて、右記の水口町の隣接町である。此処も妓楼や制度が判明して居ない。

大津市上柴地遊廓

大津市上柴地遊廓は東海道線大津市上柴地(うえしばち)にあつて柴地遊廓と言はれて居る。大津には県庁があつて、県下行政の中心地であり湖上交通の要津となつて居る。大津は古の滋賀の大津の宮の址である。天智天皇時代の都は、粟津から唐崎(からさき)辺迄拡がつて居た。古い歴史を持つだけに、随つて花街も古くから開けて居たものらしい明治初年に現在の個処に集娼妓制と成つたものである、店は陰店を張つてゐて、娼妓は芸妓と同様に送り込み花制で、廻しは取らない。遊興は時間又は仕切花制で、費用は一泊四五円位で台は付ない。

大津市下柴地遊廓

大津市下柴地遊廓は同市下柴地にあつて上下両者勢力争ひの観がある。制度も費用も上下共略同様だ。

大津市甚七町遊廓

大津市甚七町遊廓は同市甚七町にあつて、貸座敷数は約二十四軒、娼妓約四十名位居る。柴地遊廓と略同様であると思へば間違ひは無い。

大津市真町遊廓

大津市真町遊廓は同市真町(しんまち)にあつて、妓楼は十五六軒ある。娼妓は約四十人程居て、娼妓は送り込み制。御定りは時間制又は仕切制となつて居り、一時間遊g一円二十銭位時間に応じて追次益して行く計算になる。一泊が四五円位で台の物は付かない。廻しは全々取らないので比較的のんびり出来る。旅の疲れを休めるには絶好の場所。付近の名勝は市の背後にある長等寺には園城寺が見える。即ち三井寺で近江八景の三井寺の晩鐘で名高い。非常に風景に富んで近江八景も一目出来る。馬場町には義仲と俳聖芭蕉の墓のある義仲寺(ぎちゅうじ)がある。

長浜町遊廓

長浜町遊廓は滋賀県飯田郡(いいだ)長浜町字南片町に在つて、北陸線長浜駅で下車すれば東へ約五丁の地点である。長浜に、戸数約三千戸、人口約二万近くあつて湖東第一の繁華地である。此処には秀吉が信長の為めに築いた長浜城跡があつて、鏡の様な琵琶湖が一望の下に見下せて絵の様である。長浜縮緬の産地としても有名だ。現在貸座敷は十五軒あつて娼妓は五十五人居る。店は陰店を張て居て、娼妓は居稼ぎ制である。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一円五十銭位で、一泊は四五円程度である。但し台の物は含んで居ない。娼楼には栄屋、大種楼、壽楼、中藤、宮川楼、浅野屋、北川屋、島屋、辰巳、川島屋、富久美屋、高崎屋、富多屋、福助楼、等がある。付近には歴史で名高い伊吹山、謡曲で有名な竹生島等がある。長浜ぶし(二上り)「こゝは長浜、湖畔の街よ、ハ、臨湖ヽヽ仙都。旅のお方は、ヨイトコサツサノ気晴しに、臨湖ヽヽ仙都ヤツササノサ」