京都宮川町遊廓

京都宮川町遊廓は京都市宮川町(みやがわちょう)に在つて、東海道線京都駅から東北へ約二十丁、加茂川の東岸、四条大橋と五条大橋との中間に当つて居る。市電は「河原町五条」又は「四条大橋」で下車する。賃六銭、乗合自動車は十二銭。宮川町は元賀茂川の河原であつたが、開らけるに従つて、元十禅師社の西門があつた処から、建仁寺新地と云つた事がある。又建仁寺の領地だつた為いもあらふ。遊廓は今から約百八十年程前、寛延四年に所司代松平豊後守、町奉行稲垣能登守、等が初めて茶屋渡世を許した事に初まつて、明和七年には祗園町と共に茶屋遊女屋株を免許されたもので京都の遊廓としては可成古い歴史を持つてゐる。江戸徳川時代には、男娼が非常に流行して吉原にも幾人かの「かげま」が居た事がある様に、茲にも又幾軒かの「かげま茶屋」の在つた事は有名な事実だ。目下貸座敷は百五十一軒あつて、娼妓は三百三十人居る。九州地方の女が多い。店は陰店で、娼妓は殆んど、芸妓と同様送り込み制である。遊興は仕切花制、又は通し花制で、廻しは取らない。費用は朝から昼迄三円、昼から暮迄三円五十銭、暮から十二時迄四円五十銭、十二時がら朝迄は三円五十銭、一昼夜は十四円五十銭、外人は右の全部倍額と云ふ規定に成つて居る。台の物は別だ。揚屋は二丁目では富士友。小谷、石原、菊屋、福井、菅谷、小林、森里、上榊、亀家。井上、湯浅、河内家、弥生、四丁目では、村上、三米、吉岡、紅春、花園、松竹楼、和之家、中市原、筆之家、三つ星、中よし、今西、朝山、大君、大喜、石初、大力、藤田、宮部、旭楼、八代、高橋、三木末、上花、富士家、五丁目では、丸ミキ、磯崎、前田、下富士家、七丁目では、吉花、上福種、清富、新谷、後谷、下藤本、岸の屋、島仲等がある。