和歌山県の部

新宮町浮島遊廊

新宮町浮島遊廊は和歌山東牟婁郡新宮町浮島に有つて、鉄道は新勝線新宮駅で下車し、駅から西方へ約三丁位の所にあるので徒歩で約十分位である。又自動車も駅前から出る。此の廊は明治三十九年即ち日露戦争直後に初めて新宮町相筋(あいすじ)に創立されたものであつたが、大正三年には浮島に移転されて現今に及んだものである。遊楼数は十二軒、娼妓は約百十人位居るが、全部居稼ぎ制で、店は写真制である。遊びは大阪式時間制で廻しは取らない、御定りの一時間は花十二本、花一本代十五銭一円八十銭だ。遊興税は花一本に対し五分増しである。附近には、有名な熊野川が町の北を流れて居るので非常に風光は勝れて居る。日本一の高い瀧であり、且つ文覚上人の籠つた瀧として人々に知れて居る那智の瀧も、汽車及自動車で約五六十分位で行ける。又プロペラ船に乗つて九里峽及瀞峽本宮等の名勝旧跡を探ねるもの、意義ある事と思ふ。妓楼は、金水、熊本、錦、第二水治、巴、喜代み、浪花、いろは、第三水治、大勢、八幡、等がある。

大島村遊廓

大島村遊廓は和歌山県東牟婁郡大島村、字大島に在つて、鉄道は和歌山線御坊駅、又は新宮鉄道勝浦駅、又は紀勢東線大内山駅等から大島行きの船に乗る。串本からは日に数回の往復船がある。大島は、本州の最南端たる潮崎の東方に在る島で、周囲約五里の島に在る魚津である。先年、聖上陛下が御監行遊ばしてから、急に知らる様に成つたもので築港と共に繁栄して、冷蔵庫、製氷所、罐詰製造所が出来、二三千トン級の船舶も時々入港する様に成つた。貸座敷は目下六軒あつて、娼妓は三十四人居る。三重県和歌山県の女が多い。店は写真店で、陰店は張つて無い。娼妓は居稼ぎ制で、送り込みはやらない。遊興は時間制又は通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一円五十銭、半昼は三円、半夜は四円、全夜は五六円見当である。台の物は附かない。芸妓も居ない。鰹節が名産だ。附近には、樫野崎燈台、トルコ軍艦遭難記念碑、苗我島、千畳敷、等がある。茲には昔「タコ」と云つて、入港船へ出稼ぎする私娼が約百人も居て、中には「オユキ」「さ吉」と云ふ非常な美女が人気を呼んで、一時大島の「タコ」の名は三重大阪方面へ迄も響いた事がある。障子あくれば大島一眼、何故にさ吉は山の陰」「大島水谷かゝりし船は、オユキ見たさの汐がゝり」等と云ふ俚謡のあるのは、オユキ、さ吉の妖艶さを唄つたものである。妓楼は、魁楼、栄楼、勇楼、七福楼、朝日楼、常磐楼の六軒である。