岡山県の部

岡山市東遊廓

岡山市東遊廓は岡山県岡山市東中島新地に在って、鉄道は山陽線岡山駅で下車する。市内電車及乗合自動車の便もある。岡山は元、宇喜田氏の旧城下で今は人口は約十三四万の大都会である。県庁の所在地で岡山と云へば直ちに日本三公園の一たる後楽園を連想する。否寧ろ後楽園の名は知って居ても岡山市の名を知らぬ人が多い。其れ程後楽園の名は響いて居る。綾莚、紋莚、小倉織、綿ネル、備前焼、生糸等が産出され、米穀の取引も盛んだ。貸座敷は目下約七十軒あつて、娼妓は約四百人居るが、九州地方の女が重である。店は写真店で陰店を張って居る家もある。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制と通し花制で、廻しは一切取らない。費用は一時間遊びが一円六七十銭位で、全昼は七円全夜は八円見当で、台の物は附かない。

岡山市西遊廓

岡山市西遊廓は岡山県岡山市西中島新地に在って鉄道は山陽本線岡山駅で下車する。市内電車及乗合自動車の便がある。岡山は女に恵まれた処で、東廓の外に西廓ども持つて居る。両廓共何れ劣らぬ賑かな殷盛振りを示して、昼猶絃歌の絶え間無いと云ふ有様だ。貸座敷は目下五十九軒あって、娼妓は約三百五六十人居る。茲も矢張九州地方の女が多い。店は写真店で陰店を張って居る家もある。娼妓は全部居稼ぎ制で、送り込みはやらない。遊興は時間制と通し花制で、廻し花は取らない。費用は一時間遊びが一円五六十銭で、全昼は六七円、全夜は七八円見当である。台の物は別だ。

津山市材木町遊廓

津山市材木町遊廓は岡山県津山市材木町及伏見町に在って、作美線津山駅へ下車して東北へ約拾丁の個所に在る。津山は松平氏の旧城下で、城址は今鶴山公園に成って居る。付近には久米の佐良山と云ふ古跡があって、元弘帝が隠岐に御幸の時「聞き置きし、久米のさら山、越えゆかむ、道とはかねて、思ひやはせし」と詠ませられて久米のさら山を眺め、中島を過て此の院の庄に着かやられた。此の院庄は津山から一里の処に在って、備後三郎が「天莫空勾践」と桜樹に題した処で、今は作楽神社を建てて後醍醐帝と児島高徳の霊を祀って居る。明治維新の際に、藩主松平氏が、市の繁栄を計る為めに袖助金を交付して、初めて此の遊廓を設立したもので、他廓とは一寸其の行き方が異って居る。従って其の建物や構造等は一寸他廓の追従を許さぬものがある。設計者は当時の藩士榊原貞一氏であった。目下貸座敷は十八軒あって、娼妓は約九十人居るが、重に近県の女である。店は写真式に成って居て陰店は張って居ない。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制と仕切花制とである。費用は一時間が一円五十銭で、午後六時から終夜は八円、引け過ぎからならば四五円程度である。勿論客の廻しは取らない。台の物は付かない。芸妓は呼べない。娼楼には、浪花楼、花月楼、一富士、油宗、見晴楼、菊水、日の出、都楼、松月、鶴の家、松田、春日楼、昭和楼、岡田楼、小野恵、大正楼、一心楼、金本楼等がある。

日比町日比港遊廓

日比町日比港遊廓は岡山県見島郡日比町字日比港(ひびみなと)にあつて、岡山駅乗換の宇野線に依り宇野駅で下車し、西南へ約一里余町の海岸にある。乗合自動車の便があるので少しも不自由を感じない。料金は三十五銭である。三井物産造船部工場があるので割合に活気のある町である。遊廓は拾六軒、娼妓七十四人居るが、面白いのは居稼ぎ制もあるが客が自由に料理店へ呼び込む事も出来る事である。店は大概陰店制で、大阪式時間制で廻しは取らない。御定りは一泊七円相場で又時間遊びは三円位からある。遊興税は一割である。妓楼は松葉楼、三忠楼、三昌楼、山城楼、いろは楼、浅田家、金龍楼、丸福楼、播摩家、入船楼、海月楼、栄楼、浪花楼、大多福楼、日ノ出廓、丸竹楼。

下津井町遊廓

下津井町遊廓は岡山県下津井町(しもついまち)に在って、鉄道は下津井線の下津井駅で下車する。下津井からは四国の丸亀行きと、多度津行きの汽船が出る。野浜加崎の突端に在って景色の善い処である。貸座敷は十軒あって、娼妓は十二三人居る。四国九州地方の女である。店は陰店を張って居て、娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制と通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一円二十銭位、全昼は五円の全夜は六円見当である。

倉敷市遊廓

倉敷市遊廓は岡山県倉敷市川西町に在つて山陽線倉敷駅で下車すれば西南へ約五丁。乗合自動車は「川西町(かわにしまち)」で下車すれば宜しい。賃五銭。倉敷附近は昔から富豪の多い地方で、邸宅や、店構へ等は仲々堂々たる者が多い。昔の宿場から今の遊廓に成ったのは明治四年で、目下貸座敷は十七軒あり、娼妓は百拾三人居るが、九州人が最も多く、次は香川県の女である。店は写真式で陰店を張って無い。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。娼妓の風姿は重に素人風を装って居る。費用は昼六円、夜十二時迄七円、一泊は留花三円増。一時間は一円五十銭、四十分は一円、右には全部一割の税が附く。台の物は別勘定だ。娼楼には、岩井楼、月見楼、いろは楼、入船楼、日之出本店、朝日楼、恵比寿楼、日進楼、内美楼、日之出支店、登記和楼、第二日進楼、平和楼、末広楼、観月楼、明月楼、富士月楼がある。附近には金光教本庁、倉敷新溪園等がある。

玉島町遊廓

玉島町遊廓は岡山県浅口郡(あさぐちぐん)玉島町字天満町に在って、山陽線玉島駅で下車すれば南へ約二十五丁、乗合自動車を利用して玉島土手町迄行けば賃十五銭、玉島は県下第一の良港で、知盛、教盛等が源氏の軍を迎へ撃った水島の古戦場に成って居る。港頭の丘上には円通寺があつて眺望がよく、名僧良寛の修業した寺として有名だ。尚付近には金光教の本部があつて団体の参詣人が多い。当遊廓には目下貸座敷が十三軒あって娼妓は約五十人居るが、熊本鹿児島香川県等の女が多い。店は写真式で陰店は張って居ない。娼妓は居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。費用は一泊は六円六十銭で十二時迄を二円三十銭、短時間遊びには一円六十五銭、一円十銭等がある。但し台の物は含んで居ない。娼楼は於多福楼、二葉、大正楼、第一月の家、敷島、松月、第二月の家、山陽楼、喜楽、改光楼、寿楼、吾妻楼、天満楼等がある。

笠岡伏越遊廓

笠岡伏越遊廓は岡山県小田郡笠岡町(かさおかまち)伏越に在って、山陽線笠岡駅で下車すれば東南へ約五丁の処である。乗合自動車の便があって、伏越停留場で下車すれば直ぐである。笠岡町は瀬戸内海に臨んだ港町で、四国への便船がある。大高島、小高島、白石島、北木島、真鍋島、小飛島、大飛島等が鏡の様な海面に浮いて居て、山陽沿線でも景勝の地である。宿場から本廓に成ったのは、何年頃からであるかは判明してない。現在貸座敷は拾六軒あって、娼妓は六十三人居る。店は写真式で陰店は張らない。娼妓は居稼ぎ制で送り込み制では無い。遊び方は時間制で廻しは一切取らない。御定りは七円廿銭であるが、午後九時から一泊ならば五円である。廻しを取らないから本部屋も無い。税は玉代の九分である。茲の娼妓は総て芸妓の鑑札をも持って居るので、御定りの時には必らず三味線を持参する事に成って居る。三味も弾けば踊りも踊り、唄も唄へば舞も舞ふと云ふ誠に便利な娼妓である。須らく娼妓の質も茲迄向上せしめねばうそである。妓楼は、栄楼、金八楼、吾妻楼、入船楼、勇喜楼、昭和楼、自由亭、月見楼、観海楼、朝日楼、三日月楼、虎屋楼、第二観海楼、於多福楼の十六軒。