津山市材木町遊廓

津山市材木町遊廓は岡山県津山市材木町及伏見町に在って、作美線津山駅へ下車して東北へ約拾丁の個所に在る。津山は松平氏の旧城下で、城址は今鶴山公園に成って居る。付近には久米の佐良山と云ふ古跡があって、元弘帝が隠岐に御幸の時「聞き置きし、久米のさら山、越えゆかむ、道とはかねて、思ひやはせし」と詠ませられて久米のさら山を眺め、中島を過て此の院の庄に着かやられた。此の院庄は津山から一里の処に在って、備後三郎が「天莫空勾践」と桜樹に題した処で、今は作楽神社を建てて後醍醐帝と児島高徳の霊を祀って居る。明治維新の際に、藩主松平氏が、市の繁栄を計る為めに袖助金を交付して、初めて此の遊廓を設立したもので、他廓とは一寸其の行き方が異って居る。従って其の建物や構造等は一寸他廓の追従を許さぬものがある。設計者は当時の藩士榊原貞一氏であった。目下貸座敷は十八軒あって、娼妓は約九十人居るが、重に近県の女である。店は写真式に成って居て陰店は張って居ない。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制と仕切花制とである。費用は一時間が一円五十銭で、午後六時から終夜は八円、引け過ぎからならば四五円程度である。勿論客の廻しは取らない。台の物は付かない。芸妓は呼べない。娼楼には、浪花楼、花月楼、一富士、油宗、見晴楼、菊水、日の出、都楼、松月、鶴の家、松田、春日楼、昭和楼、岡田楼、小野恵、大正楼、一心楼、金本楼等がある。