下ノ関市

下ノ関は瀬戸内海の西口を扼して、交通上軍事上枢要の位置を占めた要港で周防の上ノ関、中ノ関に対して着けた名称である。頼山腸が馬関と雅号を着けた事があるので、日清談判が茲で行はれた事を「馬関条約」と云つて居る。昔から有名な要港で、今は釜山との連絡船も出る。硯、雲丹、鯨尾羽毛等が産物だ。壇の海は平家全滅の場所である事は天下周知の事実であるが、同時に平家蟹の産地である事も有名だ。又茲からは「小平家」と云ふ鯛に似た形で、上に白い斑のある魚が漁れる。男は蟹と成つて永久に源氏を呪ひ女は魚と成つて久遠に怨むのだと云ふ伝説がある。事実、平家蟹も小平家も、他では絶対にとれないから不思議だ。下ノ関には、豊前町遊廓と裏町遊廓と、新地遊廊との三個所に遊廓がある。云ひ伝へに依ると、平家滅亡の際に生き残つた女房達が、其の日の糧を得る為めに春を売つたのが初まりで、今日の盛大を成したものだとされて居る。紅石山の麓には官幤中社赤間宮があつて、古戦場が一望の下に見渡し得る処がある。例祭は毎年十月七日で、此の日には毎年市の遊女達が盛装をして茲に参詣をする事に成つて居る。此れは帝の忌日毎に参詣をした平家の女房達の風習が、今尚形ちの変つたものと成つて残つて居るものだと云はれて居る。

豊前田町遊廓

豊前田町遊廓には貸座敷が三十五軒あつて娼妓は約二百五十人居る。

裏町遊廓

裏町遊廓には貸座敷が十二軒あつて娼妓は約八十人居る。

新地遊廓

新地遊廓には貸座敷が四十三軒あって娼妓は約三百人居る。何れも山口県福岡熊本県等の女が多く玉も比較的善いのが揃って居る。右三廓共店は写較店と陰店の両制で、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は何れも時間制、通し花制で廻しは取らない。費用は一時間遊びが一円五十銭位、全昼は四円五十銭位で、全夜一泊が六円見当である。台の物は付かない。