大分県の部

別府市遊廓

別府市遊廓は日豊線別府駅で下車する。別府温泉は日本一の名湯で、古来から八湯と唱ヘられて居た処で、別府、浜脇、観海寺、堀田、津川、鉄輪、柴石、明礬等で、各泉質及風景も異にして居る。それに八幡地獄とか、血ノ池地獄とか、海地獄とか、坊主地獄とか紺屋地獄などと奇抜な地獄巡りも又浴客の趣味深い行事の一つである。亀川は別府温泉の北の門戸となつて居て、後には鶴見、由布の火山を負ひ、海岸に、平地に、谿谷に至る処に温泉の湧かぬ処はなく、含鉄泉、単純泉、硫黄泉、塩類泉等あつて、温泉は我々人類が天から与ヘられた唯一の恩恵であり、無上の天恵である。貸座敷は現在、五十七軒、娼妓四百七八十名位居て、殆んど各地人の寄り集りである。店は写真制で娼妓は居稼制の一大遊廓を形成して居る。中には少数の送り込みをやる娼妓もあるらしい。御定りは一時間二円位で、一泊なら六七円で台物付の見当である。芸妓も呼べるが、一本が七十五銭で一時間が二本、即ち一円五十銭の玉代だ。

大分港遊廓

大分港遊廓は大分県大分市大分港町に在つて、日豊線西大分県で下車すれば西北ヘ約五丁、電車は「菡萏」に下車すれば宜しい。大分市は九州東海岸唯一の市で県庁の所在地、元大友氏の城下で、城址は今県庁、水産試験場、女学校等に成つてゐる。檜物細工が此処の特産物に成つて居る。港町からは笠結島が見えて景色は殊によい。遊廓には貸座敷が二十二軒あつて、娼妓は百九十人居る。女は全部近県の者計りである。店は写真制で陰店は張つて無い。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制で廻しは取らない。御定り一泊が六円で、二時間遊び(約一時間半)は二円である。税は一割、台の物は別勘定である。貸座敷には、大和楼、春栄楼、花月楼、中川楼支店、松石楼、新玉楼、大崎楼、港屋楼、人舟楼、松竹楼、大正楼、宝海楼、寿楼、金栄楼、梅月楼、栄楼、春日楼、醉月楼、一楽楼、玉川楼、常春楼、中川楼、等である。

佐賀関町遊廓

佐賀関町遊廓は大分県佐賀関(さがのせき)町にあつて、汽船は大分から発着して居るし、汽車は日豊本線大在駅ヘ下京して、東方ヘ約三里十七町の位置で佐賀関海峡に面した処にある。

昔神武天皇御東征の時には、此地に椎根津彦が居て東征船隊の前軍となつて偉功を奏した処だ。其の遺蹟は、今は速吸日女神社となつて居る。目下貸座敷は四軒あつて娼妓は約三十人位居り、店は陰店制及写真制の両制となつて居る。御定りは一時間二円位で、一泊なら酒肴付五六円見当である。客は一人一客主義で廻は取らないから比較的ゆつたり出来る。

下ノ江港遊廓

下ノ江港遊廓は大分県北海郡下ノ江港字下ノ江に在つて、九州日豊線下ノ江駅から東ヘ約二十丁、俥賃に四十五銭である。旧幕時代は有名な良港で、各府県の船舶は上り下りの都度に淀泊したものだ。其の時分から此処には「風呂焚き女」と云ふ私娼が居たが、其れが漸次発逹して今日の遊廓と成つたものである。下ノ江遊廓は九州でも有名で、県下の名物と成つてゐる。娼妓は一枚鑑札ではあるが、元芸妓をした経験のある女が多いので、自然諸芸に逹して居る者が多い。目下貸座敷が六軒あつて、娼妓は三十人居る。送り込み制で、客との交渉は甚だ自由である。遊興は時間制で廻しは取らない。費用は一時間一円泊りは三円、台の物は別である。但し泊りは三円であるが「貰ひ」が利く事に成つて居るので、貰ひを断はるには、最初から貰ひ分を払つて置かねばならぬから、結局六円出さねば独占が出来ない事に成る。芸妓は居ない。妓楼は、花屋、永楽屋等が有名だ。下ノ江節は太鼓三味線で娼妓も唄ふ。「アゝ下ノ江可愛いや、金比羅山に、松が見えますほのぼのと、サノヨイ〃」「アゝ下ノ江港に錨はいらぬ、三味や太鼓で船つなぐ、サノヨイ〃」