会寧面北新地

会寧面北新地は朝鮮咸鏡北道会寧面に在つて、清会線会寧駅で下車すれば南へ約四丁の処である。円タタ及人力車の便があつて、殊に人力車の賃金は安く、駅から遊廓の玄関に横着けさしても、車夫に拾銭も与へれば大悦びであると云ふ有様だ。此の遊廓は明治卅九年の、日露戦争直後に四軒の、日本料理店を開業して芸妓を置いた事に始まり、大正五年には剛載者が八軒にrt芸妓は畆診娼妓の内粡を含んで居たので、茲蓊座敷組1しi廓拓可地七1tのであ3瓢芸t1戔あて一1gj八(居る。、`一四拾人が内地が、他の四十t(は朝附がある。但し諮詢絢驟櫚の大半は輒l嚮ぷ居て、言語も殆んど内地人と大差無い迄に精通して居る。茲の遊廓は元来が芸妓町だつたので、娼妓にも二枚鑑札の女が大勢居る。店は陰店式で娼妓は居稼ぎ制である。送り込み制はやつて居ない。時間制で廻しは取らない。御定りは二枚鑑札の娼妓を呼べば六円、一枚鑑札の娼妓を呼べば五円と云ふ事に成つて居る。前者を甲と云ひ、後者を乙と呼んで居る。御定りには酒肴が付いて一泊が出来る仕組みである。豆満江節、国境警備の歌舞等が盛んである。妓楼は、一富士、平海、徳川、花月、吉野、万年、松葉、更科、亀鶴、菊水、九州、都、松月、酔月、等である。