旅順支郵町

関東州旅順市支那町に在つて、南満州線旅順駅から東北へ約十五丁、乗合自動車は善通寺迄行く、賃十銭。二頭馬車で行つても二十銭位なものだ。旅順は日露戦争で有名な処。所謂旅順の要塞は世界一と云はれた程で、猛将乃木将軍も敵将のステツセルには非道く悩まされた処で云ある。今でも要塞は其の儘に残つて居て、特殊護保が加へられて在い。破壊された要塞や、弾痕が今でもありヽと残つて居て、恐しい激戦の有様がまざヽと眼前に展開される様である。茲は遊廓のよう一廓には成つて居るが、貸座敷の一廓では無い。所謂乙種料理店の一廓で、大勢の芸妓や酌婦を抱へて置くのだ。明治卅八年、旅順口の占領後間も無く開設されたもので、目下乙種料理店(貸座敷に相当するもの)は拾七軒あつて、酌婦(娼妓と略同じ)は百十人、芸妓は三十人居る。女は長崎広島福岡愛媛の順である。店は陰店を張つて居て、酌婦は全部居稼ぎ制だ。遊興は時間、は通し花制で、廻しは取らない。費用は酌婦の御定りが六円で、芸妓の御定りが十二円である。此れで何れも一泊は出来るが台の物は別だ。一時間遊びは二円見当。但し此の百十人の酌婦中には鮮人が三十人居て、玉代は約二割方安い。附近には、二百三高地、白玉山、黄金山、東鶏冠山等、日露戦争に名高い所が多く、付近の原野からは名物「ウズラ」が穫れる妓楼は、遼東館、東洋軒、蛤亭、新万歳、一力、吉田屋、笑福楼、吾妻楼、松葉、浜名館、以上は内地人の酌婦の家で、京城館、明月館、満月楼、昭和楼、春海館、堺楼、以上は朝鮮人の酌婦の居る家だ。